たばこ

思えば幼少期、自分の周りの大人の男たちは皆たばこを吸っていた。

もちろん父親も。小さい頃はよくおつかいでたばこを買いに行ったものだ。

父親はマイルドセブンを吸っていた。マイルドセブンと一口に言ってもタールの高低やメンソールの有無などいろいろな種類がある。幼ない自分にはその違いがよくわからず、空き箱を持って行き同じものを買わせてくれとお店の人にお願いしていた。

そのたばこの種類の違いに対して、妙に大人っぽさを感じた。大人しかわからない世界に対する憧れだったのだろうか。

父親はたばこをベランダで吸っていた。夜風を浴びながら父親がたばこを吸っている姿はどうしようもなくかっこよかった。

時は流れ、世間の嫌煙への流れは激しく、父親も自分が小5の時にたばこをやめた。自分は幸いグレることなく成長していたので、そこからはたばことは縁遠い生活が続いた。

20歳になり、酒は飲むようになったが、たばこは遊びで吸った1回きりでそれ以降吸うことはなかった。柔道に打ちこんでいたからだ。

自分は小1から柔道を始めた。やめたいと思ったことは何度もあったが、なんだかんだ柔道が好きだった。

高2の時に「七帝柔道記」という小説を父親からもらった。そこには七帝柔道という旧帝国大学の学生のみが行っている特殊なルールの柔道に大学生活のすべてを捧げた選手たちの姿が描かれていた。

美しかった。心の底からこの物語に出てくる登場人物たちに憧れた。僕もこうなりたい。勉強も柔道も中途半端な僕だけれど、七帝柔道をやればこの人たちみたいに美しくなれるはずだ。そう思ったことを今でも鮮明に思い出すことができる。

一浪して無事旧帝大に合格し、実際に体験した七帝柔道の世界は小説の中よりも美しかった。七帝柔道という世間ではほとんど知られていない競技での勝利に文字通り心血を注ぐ先輩たち。本当にかっこよく、美しかった。

初めての七帝戦(七帝柔道のルールで行われる唯一の大会)を経験した自分は人生で初めて夢を持った。

「七帝戦優勝」

これを果たしたいという思いが、それからの生活すべての行動原理となった。

「七帝戦優勝」を目指し生活をすることは楽しかった。楽しいことだけじゃなかったけれど、楽しかった。練習は辛い。毎回ボロボロになる。先輩にはやられる。後輩にも勝てない。だけど、やっぱり楽しかった。苦しいけれど、一筋の光めがけて懸命に走ることは自分にとっては何よりも代え難い喜びであり、自分も美しさへと近づいていると実感できる時間だった。

一筋の光に近づいてもう少しで辿り着けそうになった時、その光は見えなくなった。

原因はコロナだ。

2020年3月頃から新型コロナウイルスが日本でも蔓延し始め、練習や合宿などが軒並み中止となった。

数ヶ月我慢すればまた元の生活に戻れると自分に言い聞かせ、ひたすらトレーニングに打ちこみ、ひたすら飯を食べた。体を大きくしてなんとかこの期間さえ耐え抜けば、またあの光に近づける。そう信じていた。

しかし、コロナ禍は収まらず7月に開催される予定だった七帝戦は中止となった。

4年生の先輩は引退し、3年生だった自分たち主体のチームへと代替わりする際に自分は主将となった。

主将になる時に自分は絶対に弱音を吐かないと決めた。

ただでさえ大会は中止となり練習も制限つきでしか行えない中で、主将が弱音を吐いてしまったらチームは崩壊してしまう。そんな思いからだった。

ある時、後輩に「先輩はこんな中でも弱音を吐かないのがすごい」と言ってもらえたことがあったので、おそらくこれは達成できていたのだと思う。

しかし、内面は確実に荒んでいった。

練習はまともにできない、例年ならやっているはずの対外試合や合宿もできない、七帝戦もおそらく行われない。そんな状況の中で生まれる負の感情のほとんどを自分の中へ貯めていった。

ああ、僕はあの美しい先輩たちみたいにはなれないんだろうなと毎朝毎晩毎秒思っていた。

別に特別なことがしたかったわけじゃない、先輩みたいに練習やって合宿して大会に出たかっただけ。そうすれば自分も先輩みたいに美しくなれると信じていたのだ。そこまで贅沢な望みだとは思えない。

人に悩みを相談するのが苦手という性分も災いした。誰にも言えない絶望感が自分の中から出ることなく、心を少しずつ少しずつ侵食していった。

いつだったろうか、もう正確な日付は覚えていない。人生で初めて自分のためにたばこを買った。

なんで買ったのかもよく覚えていない。ただ、ラッキーストライクを買ったのは覚えている。ラッキーストライクは自分が大好きな作品の主人公が吸っている銘柄だった。

昔、一本だけ吸ったたばこは煙たいだけだったのに、その時吸ったたばこの煙はなぜか元々自分の体の中にいたものかのように体に入っていった。

それから毎日たばこを吸うようになった。

何をどう考えても美しかった先輩みたいにはなれないということがわかってしまった自分にとっては、自分の中にある美しさが憎かった。たばこを吸うことは自分の中にまだ少しだけ残っている「懸命に練習している」という美しさを消していく行為だった。

わかって欲しいのは練習をしなかったわけではない。練習はたばこを吸い始める前と変わらず一生懸命やった。ただ、何にもつながらないだろう練習を終えたあとの虚無感をたばこを吸うことへの罪悪感で埋めていたのだ。

七帝戦がなくなるのがほぼ確定した頃、自分は不眠になった。不眠をごまかすために毎晩意識が飛ぶまで酒を飲むようになり、以前以上にたばこを吸った。毎日美しくなくなっていく自分に、これでいいんだこれでいい、元々僕は美しくなかった、僕なんかが美しくなれると思ったのが間違いだったんだと言い聞かせた。

美しくなくなっていく自分が嫌になるときもあった。夜、ベランダでたばこを吸っている時、手すりに足をかけたこともある。美しくない自分ならなくなったほうがましだと思った。まあ、その時同居していた友人に迷惑がかかることはよそうと思い踏みとどまったのだが。

結局、七帝戦は行われることはなく自分は部活を引退した。

それから2年くらいたったある日、元同居人の家に泊まることがあった。同居人にベランダでたばこ吸ってもいいかと尋ねると、「たばこ吸うようになったのか、大人になったな」と言われた。

たしかに一応は同居人に隠れて吸ってはいたが、彼が自分の喫煙に気づいていなかったことに驚いた。まあ、彼のその鈍感さが自分を救ってくれたところは大いにある。

同時に「大人になったな」という言葉がひっかかった。大人になったんじゃない、大人になれないから僕はたばこを吸ってるんだよ。

僕は青さ故に美しさにこだわった。美しくなれると勘違いした。そしてその幻想が壊れていくのが子どもだから耐えられなかった。だからたばこを吸った。

髪を伸ばす、染める、ピアスをあける、オシャレをする、毎日酒を飲む、トレーニングをやめる、まともな飯を食わない、全部全部僕が思い描いてきた美しさへの反抗なんだよ。

少しでもあの美しさに近づいちゃうと自分が美しくなれないことをわかっちゃうから。初めて持ったあの夢を思い出しちゃうから。だから僕は今日もたばこを吸うんだよ。

いつか大人になって、あの美しさに向き合えるようになりたい。

その時は多分僕はたばこをやめているはずだ。

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