浪人時代の話②

前回の投稿では、自分の浪人時代の話、ひいては補習科の話を書いた。今回はその補習科で教壇をとっていた個性的な先生方について書こうと思う。

まず、前回も書いたが補習科のシステムについておさらいしたい。補習科は大手予備校のない田舎の進学校に設置されている予備校のようなものだ。運営しているのは高校の後援会やPTAだ。講師は、その補習科がある高校でかつて教壇をとっていた定年超えの元教師が約8割、その高校で現在も教師をしている先生が約2割となっている。

ここからは特に思い出深い先生方の特徴とエピソードを列挙していく。なお、先生方のイニシャルは個人情報保護のため適当につけた。断じて名前を忘れてしまったから適当につけたわけではない。断じて…。

現役の先生編

数学のI先生

数学担当のI先生は、補習科の担任も務めていた。現役の教師であり高校生からはあまり人気がなかったが、補習科生からは少なくとも嫌われてはいなかったと思う。小言の多い小柄な先生で、「教科書に載っている公式は全て証明できれば入試は突破できる」が口癖だった。その方法論が正しいかどうかは分からないが、僕はI先生の指導で数学が得意科目になったのでそこまで間違いではないのだろう。

英語のN先生

英語はレベル別に2つのクラスに分かれていたのだが、N先生は自分が所属していなかった方のクラスの担当だった。そのため、補習科時代はほとんど関わりがなかったが1回だけ授業を受けたことがある。その時、自分は癖でうんうん頷きながら授業を聞いていたところ、N先生が急に「くろくん!浪人生にもなってなんで居眠りしてるの!」となかなかの勢いで怒られてしまった。まあ、僕は高校生時代にK先生の授業を受けていた時は全て寝ていたので「こいつは授業中に寝るやつだ」という先入観があり、うんうんをこっくりこっくりだと勘違いしたのだろう。「寝てないですよ!」と反論したが、その反論もむなしく説教を食らってしまった。日頃の行いって大事だよね。

現代文のF先生

F先生は、自分の高1、高3時代の担任でもあり、僕のことを誰よりも気にかけてくれた先生だった。自分が授業中は全て寝る、宿題はしない、点数は取れないというだめだめ高校生でどの先生からも愛想をつかされていた時も、F先生は「俺はお前を信じてる」といつも言ってくれた。補習科に進んだあとも授業で補習科を訪れるたびに声をかけて下さった。僕が合格報告したときに1番喜んでくれたのもF先生だった。F先生との思い出もどこかで書きたいな。

定年超え先生編

英語のM先生

M先生は補習科の副担任も務めていた。

無駄話が大好きで、授業時間の半分くらいは時事について語っていた。トランプが大嫌いで、「フェイクニュース」「オルタナティブファクト」という言葉を用いてよくトランプのモノマネをしていた。僕は先生の無駄話が大好きで英語の時間はとても楽しみだった記憶がある。

その無駄話が行き過ぎて後年問題が発生してしまうのだが、あの程度の発言が問題になってしまうなんて全く世知辛い世の中だ。まあ、いい発言ではないけどね。どういう問題だったのか気になる方は補習科で検索されたし。わりとすぐ見つかるので。

いろいろあったけど、僕にとっては補習科の中で一番魅力的な先生だった。

物理のH先生、化学のA先生

この理科教員はふたりともとても温厚で、生徒たちからとても好かれていた。H先生は自前の公式集を配布していて、「この公式集を完璧に覚えれば東大でも京大でもどこへでも行けます」が口癖だった。村山富市みたいな見た目で、生徒が間違えても「あら、いけませんがねぇ」と優しく指摘してくれる先生だった。ちなみに、公式集を忘れた時だけ結構怒る。化学のA先生はカバオくんみたいな見た目の優しい先生で、いつもジャージを着て授業をしていた。化学は苦手だったし興味もあまりなかったけど、先生が優しかったから授業は楽しかった。化学は苦手なままだったけど。

世界史のR先生

R先生は自分が高2の時にも世界史を教えてもらっていた。R先生の授業は全て寝ていたのでよく怒られていたが、途中からは諦められたのか怒られなくなった。

補習科に入ってからは流石に寝なかったが、模試で点数が悪いとファイルでよく頭を叩かれた。「なんでこんな簡単なこともわからないんだ!」みたいなことを言いながら。叩かれるたびにイラッとはするのだが、幸か不幸かよく叩かれる家庭で生まれ育ったのでキレるとか何かに訴えてやるとかいう感情にまでは達しなかった。まあ、ファイルだから痛くはなかったし。

その叩く癖は嫌いだったが、R先生自体は好きだった。授業は面白かったし、配布するプリントは見やすかった。加えて、R先生は僕のことを特に目にかけてくれていて、「お前はできるやつなんだから」「補習科を引っ張るのはお前だ」といった言葉をよくかけてくれた。引っ張るってなんだよとは思ったが。そういえば、何かの語呂合わせで「夜這いもできぬクローヴィス」とかなんとか言ってたな。なんの語呂合わせかは全く覚えていないけど。そういう面白いところ(?)もある先生だった。同じ高校に通っていた弟もお世話になっていて、弟もR先生をそこそこ好いていたからいい先生だったと言って良いだろう。

古典のY先生

Y先生は大きい荷物背負ってたらかわりに背負ってあげたくなるような見た目の本当に小さいおばあちゃん先生だったのだが、補習科で一番エネルギーがあるのがこのY先生だった。

最初の授業で「私は厳しい」「今の高校は生ぬるすぎる」「今の国語教育は何も教えていない」と発言するところからスタートし、予習ではテキストの全訳といくらかの問題を解いてることが毎回求められ、毎朝小テストを課しその小テストで不合格になると間違えたところを50回くらい書かされた。訳が違ったり小テストに落ちたりするとバチボコにキレられる。

そんなキレたときに出る口癖が「こんなこともわからないなんて…あんたなんか八つ裂きにしてやりたいよ!(磔の刑というパターンもある)」。なかなか、なかなかである。こんな感じだから、一番勉強しなきゃならんのが国語になる。僕は理系なのにね。

勉強の成果は一応出て、センター試験の国語は200点中190点くらいとれた。授業はめちゃめちゃわかりやすかったし指導力は補習科で一番だったと思う。まあ、厳しいのは厳しいし人によっては厳しすぎると思う人もいるとは思うが、なんせ殴ったら死んじゃいそうなほどに小さいおばあちゃんが言ってることだからね。僕自身はそこまで気にしていなかった。単純に自分は古典が得意で、Y先生に気に入られていたっていうこともあるとは思うけど。

補習科を途中でやめた人の中に、あいつを告発してやりたいとのことで僕に授業を録音しろって言ってきたやつがいたが、そんな僕にとってなんのメリットないことするわけ無いやんね。僕はY先生好きやし、告発の手伝いをしたことでその後の補習科での生活がしづらくなるのもわかりきってるのに。

Y先生の過激な言説の中で僕が最も気に入っていた発言は、「芸人風情が芥川賞を取るなんてもう芥川賞には価値がない」だ。これはお笑い芸人の又吉直樹が芥川賞を取ったことを受けた発言で、本当に偏見にまみれた発言だ。全く正しいとは思わないがその正しくなさがなぜかとても好きだった。

センター試験が終わり、二次試験で古典を使わない僕はY先生の授業を受けなくなった。それ以降何回かY先生と話す機会があったのだが、授業を受けていた時には考えられなかったような柔和な笑顔で話しかけてくれた。まあ、Y先生が授業の時に見せていた厳しい顔というのは、それなりに気張って見せていた顔だったのだろう。その気張りをおばあちゃんになってもできるのは尊敬に値するものなのではないだろうか。まあそんなことないか。

まとめ

補習科の講師陣はなかなか個性的であったことが伝えられただろうか。

指導力については深くは触れなかったが、これは大手予備校に比べたら劣るかもしれない。ただ、補習科の授業料は年間30万円程度、つまり大手予備校の約4分の1だ。まあ流石に指導力が4分の1ってことは無かったと思う。同級生はみな国公立大学に進学できたし。自分も補習科で出された課題以外では過去問、単語帳、ほんのちょっとの問題演習くらいしかやらなかったが、センター試験では現役時代から150点アップさせたうえ、旧帝大にも進学できた。

現代の価値観にそぐわない指導法もあるにはあったが、まあそれさえ気にしなければそこまで悪いところではない。ような気がする。高校生からは補習科は魔窟のように思われていたが、少なくともそこまでではない。せいぜいトンネルくらいのもんだ。

前回のブログからの繰り返しになるが、自分にとっての補習科生活は楽しいものだった。この1年間が無ければ、僕の人生において頑張って勉強するなんてことは無かっただろう。それを考えると浪人して良かったなと思うし、授業中たくさん寝て宿題も一切やらなかった高校時代の自分を褒めてあげたい。まあ、あの時ちゃんとしてれば現役で行きたいところ行けたかもせんけど。

これでとりあえず浪人時代のお話はおしまい。浪人時代に僕を支えてくれたアイドルの話などは、いつか書こうと思う。

次回の内容は未定だが、また読んでくたら喜びます。

それじゃまた。

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